akaritaguchi

25歳。インスタグラムは体裁でツイッターは軽率です。語尾がバラバラですみません

『太陽の子』

戦争映画は観た後にだいぶ引きずってズドーンと感情を落として体力を使うのでいつも覚悟を決めて観ます。映倫でR18に指定されているくらいかなり酷な写真や映像が出るので注意して観た方がいいと思います。

映画に関する感想の前にまず、去年の7月18日に三浦春馬さんが突然亡くなり、特別追っかけていた訳ではないけれど彼のお芝居もビジュアルも熱量も惹かれるところがあったから、1年間彼の出演作を観ることができなかった。死を認めたくなかったし怖くて逃げていたんだと思う。『太陽の子』を通して向き合う決意ができた かもしれない。あらためて 心より哀悼の意を表し作品に対して少しだけ愚見を申します。

 

自然も文化も豊かで美しい京都をも霞ませてしまう戦争。多数の清水焼の骨壺が並び、修が何度も訪ねる内にその数が減っていく様子には奇妙さを感じ心が歪んだ。遺体を焼くシーンも原爆投下後の遺体の写真も酷く胸が痛んだけれど間接的に人の死を描くことから表せないほどの命が断たされたことを考え怒りの気持ちが大きくなった。戦争に対しては悲しみだけでは向き合えない。

裕之が戦地で心に大きな傷を負いつつ修と世津の前では本音を吐露しながらも特攻隊に志願すること、30万人の命を奪うことを前提としてAtomic Bombの実験に向き合う修。何が正しいのか分からず自分が“今”していることに疑問を持ち、世津が言う“未来の話”にハッとさせられること。3人それぞれが感情を表情と言葉で表すところに何度も感極まったし鳥肌が立った。現代の若者にも投影できるかもしれないけれど当時の独特で妙な空気感でしか生じなかった考えなのだと思う。比較的安全が保障されている現代日本において薄れてしまいがちな思考だけど彼らが考えていたことはつくりものではなく生身の人間が経験したことであり絶対に忘れてはいけない と思う。

世界唯一の被爆国として平和を願い全ての犠牲者の方とそのご家族を悼むことが日本に生を受けた者としての使命であるとあらためて。

エンドロールに流れたのは被爆地長崎が地元であり、故 三浦春馬さんの事務所の先輩である福山雅治の「彼方」。先の『キネマの神様』の「うたかた歌」同様、映画を構成するひとつの役割を果たしていたと思う。人は常 過去にすがることも多くそれが必要な時もあるけれど今の話をして未来のことを考えたい。過去の惨劇を決して忘れずに